Previous Entry | Next Entry

スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

  • -
  • |
  • -
  • |
  • -

『「難死」の思想』

たとえば反戦論者の言葉を聞いたときに感じる、嘘臭さや薄っぺらさ。
紛争のニュースに心を痛めて見せる自分が、偽善者っぽくて後ろめたく思うこと。
この本の著者の言葉を借りて言うなら、そういうのは「自分の中にもちこたえている」言葉や思いじゃないから、嘘臭かったり後ろめたかったりするのかな、と思ってみたり。
平和とか平等とか戦争とか、何処かで気になってはいても、「自分のもの」として考えたことはなかったかもなあ、と、ここ最近のアフリカや中東の情勢をニュースで見ながら考えている。

「ベトナム反戦運動を始めるまで、私はたかだかアジア、アフリカも日本のように独立した国になったらいい、なるべきだというぐあいに考えていたのだろう。アジア、アフリカは日本のようにではなくアジア、アフリカのように独立するべきだし、それ以外に道はない。(※太字は本文中では傍点)」という言葉が印象に残ってる。
国のかたちも人々のあり方も、一様である必要はないし、まして西洋に右へならえをする必要はまったくない。
でもみんな無意識のうちにどこかで、欧米を規範として考えている気がする。
そもそも民主主義を所与のものとして、当たり前に正しいものである前提として、問い直すことすらしないことにも、危うさを感じることがある。

それからもうひとつ、「たとえ、それが強いられたものであり、哀歓のこもったものであろうと――人は、「哀歓のこめられた生活の息づかい」のなかでも、十分に加害者たり得るのだ。」という言葉を、このあいだの原発問題に関する村上春樹氏の発言を聞いて思い出してた。
国は確かに誤りを犯したかもしれないけど、私たちはただ純粋に100%被害者というわけではないはずなのだから。

スポンサーサイト

  • -
  • |
  • -
  • |
  • -

Comment






 

Trackback

http://soranomanaka.jugem.jp/trackback/546


* CALENDAR *
<< December 2017 >>
SunMonTueWedThuFriSat
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31      
* ABOUT *
* SELECTED ENTRIES *
* CATEGORIES *
* ARCHIVES *
* TRACKBACK *
* COMMENTS *
* LINKS *
* RECOMMEND *

 モードの迷宮 

  
* MOBILE *
qrcode
* OTHERS *
* SPONSORED *